母のめがね。わたしのメガネ。

ほんとに暑かった2018年の夏がようやく去ったようです。

あの暑さがウソのように、爽やかな風が心地いい季節になりました。

窓の外ではヤマガラやシジュウカラが元気に飛び回り、かわいらしい鳴き声に癒やされ思わず笑みがこぼれます。

そんな小鳥たちとは対照的に私は年齢からくる体力の衰えを強く感じるようになりました。

今まで何気なく出来ていたことが難しくなり、人に助けてもらったり、いろんな道具のお世話になることが多くなってきました。

体力だけではありません。
視力もいつの間にか衰えてきているようです。
メガネが手放せなくなり、家の中で持ち歩くのがおっくうなのであちらこちらにメガネを置いています。


私の母がまだ元気だった頃のことです。

ある日、実家に行くとキッチンがいつもより汚れているのです。

どうしたんだろう?

「汚れてるよ」と声をかけることもなく
流しや鍋を磨いていた、そんな出来事がありました。


つい先日のこと。

私はいつものようにお風呂の掃除を終えて、何気なくメガネをかけて確認しました。

そして、ショックを受け肩を落としました。

落ちていると思っていた小さな汚れが、たくさん残っているではありませんか。

そして、ふと思い出したのが母のこと。

「あのとき、母にはキッチンの汚れが見えていなかったのではないか?」

きっとそうだったんだと思います。

母の年齢に近づき気づいたのです。

今の私はあのときの母と同じ状況だと。

このことがきっかけになり、お掃除や何か作業をするときには必ずメガネをかけるようになりました。

今では4つのメガネが私を助けてくれています。

リビングには読書用、キッチンには料理用、織りや手芸用にはハズキルーペ。それから作業用にひとつ。お出かけ用にひとつ。

先日、美術館に行ったときもメガネをかけたりはずしたり。

汚れだけではなく、美しいものもシッカリ見たいですからね。


母が亡くなり、住まいを整理した際に見つけためがね。

大事にしていたのでしょう、引き出しにしまってありました。

そのめがね、今の私がかけるとよく見えるのです。

いつのまにか視力は母に追いついていたようですね。

母子2代でお世話になっているめがね。

ときおり母が語りかけてくれている気がします。

母のめがね、もちろんキッチンで使っています。