織物をして作品を作り上げる。その達成感や喜びは言葉にできないくらいうれしいものです。
さまざまな色に囲まれて幸せな気分になります。
しかし、私が織物を長く続けてこられたのはそれだけではないような気がします。織りを通じての数々の出会い。それらがあったからこそ今の自分があるのだと思います。出会いが私の人生をカラフルに彩ってくれているのはまぎれもない事実ですから。
ある時、障がいを持った方々と一緒に織物をする機会がありました。
子どもから大人まで10人くらいのグループだったでしょうか。何度か参加したのですが、学ぶことがたくさんあって皆さんとっても個性的で楽しかったのを覚えています。
その中に、聴覚に障がいを抱えていた女性がいました。色糸の選び方や組み合わせ方が美しく、参考になることが多かったのでその方の作品を毎回楽しみにしていました。
小学生のさっちゃんはいつもお母さんと一緒に参加していました。ひとなつっこい性格で、一生懸命話しかけてくれる笑顔の可愛らしい子でした。
そこで印象的だったのは、参加者の皆さんがイキイキしていたこと。それにお母さんたちの強さ。その会には子供さんも多く参加されていたので、お母さんたちも一緒に参加されていたのです。みんな共通していたのは、明るく、しつけには厳しいこと。ただし、その厳しさは感情に任せたものではなく、温かさを感じさせる愛情に満ちた厳しさでした。
息子が小学校1年生のときの話です。
クラスのお母さんから小さな冊子が回覧されてきました。
そこには障がいを持って生まれてきた子どもを持つ母親の気持ちがつづられていました。
障がいを知ったときの大きなショック、どん底に突き落とされたような気持ちになったこと。そこからさまざまな葛藤を経て、前向きに進んでいこうと決意したときのこと。
大きく揺れ動く気持ちが正直にまっすぐな言葉でつづられていました。
同じ親としてどんなに辛い日々を送って来られたのだろう。想像するだけでこころが痛くなったのをはっきりと覚えています。
織物会で出会ったお母さんたちも同様に、葛藤をエネルギーに変えて生きる「強さ」と、苦しみを知るからこその「やさしさ」に満ちあふれていました。
強く生きてほしい、わが子を大切に思うからこそ厳しくしなければならないときがあります。
本当の優しさというのはその思いから生まれてくるのではないでしょうか。
「障がい」というけどそれは個性だと思うのです。健常者も障がい者も関係なく、人はそれぞれ色を持っています。
色使いの美しいあの女性は空のような透明感のある水色。
笑顔でいっぱいのさっちゃんはガーベラのように明るいピンク。
あなたの身近な人を思い浮かべてみてください。
色が浮かんできませんか?
みんな違う色を持っていて、交わって新しい色が生まれたり。
この世界は色に満ちあふれています。
いろんな色が出会って交わる、それはまるで織物のようです。
織りを通じて出会った人たちの色。
私が織りあげる作品よりも美しい色ばかり。
だけどいつかそんな美しい作品を作りたいと思います。
いいえ、もしかしたら、生きていることそのものが美しい織物なのかもしれませんね。