今、思い起こすと言葉をスクラップするようになったのはあの小さなできごとがきっかけでした。
私が中学生になったある日のことです。
学校から帰宅すると私の机の前に、雑誌を切り抜いたような小さな紙切れが貼ってありました。
「素直な心は幸せを運ぶ」
「努力する鈍才は努力しない天才よりも多くの仕事をするであろう」
「人を批判してはいけない。その人の靴を履いて1マイル歩くまでは」
これは親からのメッセージ、いったい何を伝えようとしているのか?
小さな紙切れを何度も見ては考えました。
この小さな出来事について、私から親に何かを話す、というようなことはありませんでした。 そして、親からもそれについて特に何も話はありませんでした。
意識して触れようとしなかったわけではありません。
『心に新しい種が蒔かれた』
それだけで十分だったのだと思っています。
言葉の意味が正しく伝わるよう、例を挙げてわかりやすく伝えるという方法もあったはずです。多くの親御さんはそういった方法をとるのかもしれません。
しかし、私の親は何も言いませんでした。
だから、私は考えました。
いいえ、親が考えるよう仕向けたのではないでしょうか?
中学生といえば心の成長期、多感な時期です。
その頃の経験や考えというものは、のちの人生に少なからず影響を与えます。
今も心の真ん中で、それらの言葉がエネルギーを発しています。
だからといって、あの言葉通りの行動をとれるわけではありません。
むしろ、思っていても出来ないことがあります。
だけど、あの言葉のおかげで、自分を見つめ直す機会を見逃さずにいられるような気がしています。
『心の羅針盤』を与えられた私は幸せだと思います。
共感や共鳴した言葉を切り抜いて保存する。
単なる「紙くず」にするのか「心の栄養」にするのか、全ては私しだい。
チョキチョキ、チョキチョキ。
素敵な音が今日も聞こえます。